2015年6月30日
2015年5月12日(火)、第6回UNU CAFÉ「隈元美穂子氏と語らう」が国連大学本部で開催されました。隈元氏は、国連開発計画ベトナム事務所、ニューヨーク本部、サモア事務所 、インドネシア事務所シニアアドバイザーを経て、現在は、国連訓練調査研究所(ユニタール)広島事務所長を務めています。
Photo: C Christophersen/UNU
ジュネーブに並ぶ平和拠点である広島。ユニタール広島事務所は、原爆ドームと平和記念公園が目の前という場所にあります。戦争・紛争下にある国々の復興を担う人々に、平和を基点とした研修を行っています。この事務所の所長である隈元氏が大事にしていることは、研修プログラムを作るための準備だと言います。アフガニスタンや南スーダンなどの戦時下の現地に出向いて、新しい国の行政を担う人々にどんなニーズがあるのか調査を行うことが、その準備にあたります。この日のUNU CAFÉのために、南スーダンへの出張の直後に東京入りされた隈元氏は、これらの国々の様子を写真で紹介し始めました。
自爆テロの危険が依然として続いているアフガニスタンは、山々に囲まれた険しい地域に位置し、国民の平均年齢は18歳、一家族あたりの子どもの数が多く、若い年齢層が中心になっている国です。ユニタールは、この地の人々に12年前から研修プログラムを提供してきており、隈元氏は引き続き現地で相談しながら研修計画を進めています。同氏がよく訪れる首都カブールでは、イスラム圏の女性の服装衣装であるブルカを被る女性が多く見られるものの、人々は優しく、おもてなしの精神にあふれています。
一方で、アフリカの南スーダンは、2011年にスーダンから独立した世界で最も新しい国の1つですが、2013年の暴動が契機になり治安が悪化。今でも低迷した情勢が続いており、復興に向かっているアフガニスタンと比べれば、まだまだ紛争中の国です。国連平和維持活動として、国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)には、日本の自衛隊も参加しており、民族間の紛争が続くなかで、350人もの自衛隊員が道路などのインフラ整備に携わっています。このような国々の復興を担う人材育成を行っているのがユニタール広島事務所です。
隈元氏が現在の仕事につながる思いを抱いたのは、高校2年生のときに、同級生のいとこがアメリカに留学しており、英語を使いながら大学で他の勉強ができることを知ったのがきっかけでした。鹿児島生まれ福岡育ちで、それまで 「こってりした」日本の文化の中で生活してきたものの、「とりあえず、国際舞台で活躍したい」という思いで、高校卒業後にアメリカのウェストバージニア大学に留学。心理学を学んで4年後に帰国すると、九州電力に就職して、通訳・翻訳業務を担当することになりました。次第に、東南アジアなどの途上国からの研修生が増え、研修業務を担当するうちに、もう一度勉強して途上国のためになることをしたいと思うようになり、アメリカのコロンビア大学国際公共政策大学院(SIPA)に留学することを決意します。国連職員としてのキャリアをスタートさせたのは、大学院修了後、JPO試験に合格した32歳のときでした。在籍中に国連開発計画のニューヨーク本部でインターンを経験し、日本の企業で実務経験を積んでいたことで、ちょうどいいタイミングだったと隈元氏は当時を振り返りました。
Photo: S Tanaka/UNU-IAS
国連開発計画の世界各地の事務所に赴任するなかで、最も大変だったことの1つは、サモアで行ったプロジェクトのスタッフが仕事をこなさなくなったことだと言います。スタッフを事務所に連れてきて、デスクの隣に座り、表計算ソフトの入力などをマンツーマンで根気よく指導に当たった隈元氏は、現地の人々の能力が上がり、自律的に仕事ができるようにならなければ、本当に開発にはつながらないと語りました。
このような経験を経た隈元氏は、国連職員に求められる素質を5つ挙げました。(1)専門性をもつこと、(2)即戦力があること、(3)自分で考え行動する力があること、(4)複数の言語を身につけていること、(5)仕事に情熱をもてること。さらにこの中でも「情熱」を強調した隈元氏は、南スーダンやアフガニスタンなどの厳しい状況に落ち込むこともあるけれど、この仕事が心から好きで、仕事を続けることがエネルギーになっていると語りました。
また、この日の参加者から「日本に来た研修生が広島の被ばく者と交流することはあるのか」と尋ねられると、隈元氏は、研修中のプログラムには、広島の原爆ドーム・資料館への見学・被ばく者や若い世代の人々との対話の時間は入れるようにしていると答えました。さらに広島だからこそできるインパクトとして、 被ばく者から被ばくの悲惨さを伝えることで、戦争はしてはならないものとして示せることに加え、広島の戦後直後の現状を見せることで、戦争下にある国々の復興のモデルの1つを示せると説明しました。アフガニスタンの場合は、多民族の人々が一致団結して復興に取り組むことが難しいうえ、 40年以上にもわたる長期の戦争状態に置かれていたため、戦前の国の姿を覚えている人々がすでに亡くなってしまっているという現実があります。このため、アフガニスタンの人々は、広島の人々が原爆によって受けた直接の被害以上に、 広島がどう復興したのかに注目しているといいます。隈元氏は、広島の復興過程をよりシステマティックに伝えたいと話し、現在こうしたニーズに応える資料作りが進められている状況を解説しました。
さらに続けて別の参加者から「自分で考える力をつけるときに大事なこと」を尋ねられると、「国際機関では意見を言うことを求められるため、沈黙は金なりは通用しないと思って、色々な角度から実のあることを述べ、議論にプラスできるようにすること」と答えました。
その後も質問が相次ぎ、現在進行形の紛争地帯の現場と平和拠点の広島を行き来する現役国連職員の情熱が若い参加者たちに広く共有され、質問の機会を待つ参加者たちの列が途切れなく続きました。
高校2年生のときにアメリカ留学を意識する |
米国ウェストバージニア大学心理学部卒業 |
九州電力企画部国際担当として7年勤務 |
米国コロンビア大学修士課程にて開発経済学を学ぶ |
国際開発計画ベトナム事務所にて、ジュニアプロフェッショナルオフィサーを務める |
同ニューヨーク本部に移り、気候変動適応を担当する |
同サモア事務所にて、環境紛争災害ユニット部長を務める |
同インドネシア事務所にて、シニアアドバイザーを務める |
2014年よりユニタール広島事務所長を務める |