忍足謙朗氏、危険地帯に食糧を届けるには仲間の信頼が何より大事と語る

ニュース
  • 2016年1月25日

    2015年11月26日、第8回UNU CAFÉ「忍足謙朗氏と語らう」が国連大学本部で開催されました。忍足氏は、国連世界食糧計画(WFP)のアジア地域局長として、アフガニスタンや北朝鮮などでチームの指揮を執ってきました。 WFPを退職後、現在は日本に活動の拠点を移し、国際協力に興味をもつ若い世代の育成に力を入れています。

    img-oshidari-1-s

    Photo: C Christophersen/UNU

     

    紛争地や災害地に食糧を届ける

    国連WFP(World Food Programme)は、飢餓のない世界を目指して活動する食糧支援機関です。 メインとなる自然災害や紛争地での緊急援助と、途上国での学校給食や子どもや女性への栄養の補強などの開発援助を行っています。国連組織で30年以上仕事をしてきた忍足氏は、WFPは 「国連の中では食糧を届けるというシンプルな使命をもった組織」であるとして、「届けた物を子どもが食べてくれるのを見られるのがやりがい」といいます。

    img-oshidari-5-s

    ひとたび地震などの災害が起これば、今まで支援を必要としてこなかった何百万の人々に食糧を届けなければならなくなります。このためWFPでは、緊急時には世界中の様々な国々から沢山のスタッフが集められ、チームが編成されます。長年こうした多国籍チームでリーダーシップを執ってきた忍足氏は、多様な背景をもつ人々が一緒になって仕事をするうえで、「仲間の信頼」が何よりも大事だと強調しました。

    実際にWFPでは、 これまで120名ほどのスタッフが任務中に命を落としています。食糧を届けるために危険地帯に入らなければならない仕事のため、「仲間に何かあったら絶対に助けにいく、自分に何かあれば仲間が助けに来てくれるという信頼がなければ やっていけない仕事」だと、忍足氏は当時を振り返りました。信頼関係の大事さを示す例として、緊急援助の際に「ルールを破ってでもやるべきことをやる」という忍足氏の信条についても触れられました。

    2014年7月にフィリピンを襲った台風は、国土に深刻な被害をもたらし、WFPも緊急支援に入ります。その際、食糧や毛布などの何億円もの支援物資が入った倉庫が沈んで水浸しになりそうになり、忍足氏は、立て直しにかかる費用が約2500万だと担当者に聞かされます。契約書にサインすると、その担当者は安心して「ケンロウだったら絶対サインしてくれると思って3ヶ月前から工事を始めている」と告白して忍足氏を驚かせます。本来は手続き上、入札が必要になるケースなので、ボスである自分は部下を信頼してサインをしたものの、部下の方がより大きなリスクをとっており、長い間一緒に仕事をしてきた信頼関係がそこにあった、と忍足氏は語りました。

     

    「正しいことをやる」という信条

    仲間とともに世界各地での任務にあたってきた忍足氏は、自分のチームに入ってほしいと思えるタイプとして、7つの素質を挙げました。(1)いかなる状況でもフェアな人、(2)情熱を持ち続ける人、(3)勇気のある判断・決断をする人、(4)当たり前でない考えを出せる人、(5)少々乱暴でも仕事を成し遂げられる人、(6)ファミリーとしてチームを見守る人、(7)その人がいるとチームが明るくなる人。これらはそのまま、そうした素質をもつ人々を束ねてきた自身のリーダーシップ論につながると 解説しました。進行役のUNU-IAS所長の竹本和彦から、「これらの素質は忍足氏そのものでは」と指摘されると、忍足氏は顔をほころばせ、会場の笑いを誘いました。

    これまで多国籍のスタッフからなるチームを率いて緊急支援を実施してきた忍足氏は、「ものごとを正しくやる(Do Things Right)」よりも「正しいことをやる(Do the Right Thing)」を優先してきたといいます。国連という官僚組織で複雑な手続きが要求されるなかで、人の命を左右するような判断を即座に下さなければならないとき、結果的にそれをやらないとどういったリスクがあるかを考えながら「正しいこと」を選択してきました。

    ここで、組織の掲げる「使命」と自分が考える「正しいこと」の関係を尋ねられると、忍足氏はスーダンでの経験を例としてあげました。「世界最大の人道危機」と呼ばれる、スーダン西部のダルフール地方で2003年に起こった民族紛争では、WFPも緊急支援に入っていました。あるとき、200万人ほどの避難民に食糧を配っていたNGOが国から追い出され、約半数のキャンプでスタッフがいなくなってしまいます。1つの選択肢として「食糧を止める」という方法が頭をよぎります。そうしないと避難民が食糧のあるキャンプへ大移動してしまう恐れがあったためです。しかしこれは、WFPの使命である「食糧を届ける」という使命と拮抗します。

    そこで忍足氏は、NGOが残していった300人あまりのスーダン人を翌朝までに雇うことにしました。乱暴な選択肢ながらも、WFPのTシャツを人数分用意し、彼らがNGOから得ていた給与の同額を支払うことにして、組織の使命とともに自分の考える「正しいこと」を成し遂げました。

     

    国籍の書かれていないパスポート

    自分についてきてくれている仲間がいて初めて乱暴な判断ができるとしながらも、元軍人のスタッフも多いWFPは「輸送会社のような組織なので少々乱暴なことでも許容するカルチャーがあるのかも」と、忍足氏は笑いました。さらに、 「紛争地での緊急支援の場合は、学校を作るなどの発展的なことではなく、人を生き延びさせるためだけに数億円のお金が必要とされることにフラストレーションを感じる」一方で、「開発援助では明日のご飯の心配をしないで、人々が自身のスキルアップなどの発展的なことを考えられるように後押しをしているつもりでやっている」と述べました。

    img-oshidari-2-s

    最後に忍足氏は、国連のパスポートを取り出し、国籍が書いていないパスポートを30年前にもらったときに、「地球人としての証をもらったようで嬉しかった」と振り返り、「これから国際的な仕事に就きたいと願う人は、世界中のことを考えて仕事をしていって欲しい」と締めくくりました。

     

    忍足謙朗氏のキャリアパス

    アメリカのバーモント州 School for International Training 大学院にて行政学の修士号を取得
    修士論文執筆中にサンフランシスコの日本総領事館でアルバイトをしているときに国連職員と出会う
    国連開発計画(UNDP)リビア事務所でJPOとしてプログラムオフィサーを務める
    UNCHS(UN-HABITATの前身) ケニア本部でプログラムオフィサーを務める
    国連世界食糧計画(WFP)ザンビア、レソト、クロアチア、カンボジア、ローマ、コソボ、タイ、スーダン事務所で勤務し、その後、タイ事務所にてアジア地域ディレクターを務める
    2015 年から日本に拠点を移し、 国際協力に興味をもつ若い世代の育成に力を入れている