2016年6月16日 東京
2016年4月21日、第10回UNU CAFÉ「長尾眞文氏と語らう」が国連大学本部で開催されました。
長尾眞文氏は、国連・国際民間財団での勤務、大学での開発学研究教育と多様な経験をもつ開発の専門家です。現在は、UNU-IASで主にアフリカの大学との協力により、持続可能な開発の推進のための人材育成を行っています。
長尾氏は、高校3年生のときに、得意だった英語の腕試しのつもりで奨学金の試験を受けたことを話し始めました。試験に合格した長尾氏は、そのままの流れでアメリカのミネソタ州にあるカールトン・カレッジに進学することになります。船で太平洋を横断してアメリカに渡り、最初に出会ったのが、当時からアメリカで最も著名な詩人の一人であったロバート・フロストの“The Road not Taken”でした。もう後戻りできない状況のなかで、人が行っていない方に行く勇気をもち続けたいと自分で言い聞かせながらやってきたと言います。進学先の大学は、日本の国際基督教大学のような国際的な教養を教授している大学でした。ギリシャ哲学を中心に古典を読み、思索した上で実践するスタイルがリベラルアーツ教育であることを知り、長尾氏は特に実践の方に力を注ぐことを心に決めます。
1960年代の当時アメリカは、黒人の市民権運動の只中で、人種差別撤廃の動きが盛んに行われていました。長尾氏は夏休みを利用して、アメリカ南部の黒人の村に入り、市民権運動に関わることから「実践」をスタートさせます。大学を卒業してからは、さらにベトナム戦争中の南ベトナムの農村で2年間、ボランティア団体での活動に従事します。この経験によって、のちの50年間にわたる開発の問題に取り組む道のりに必要な「勇気と判断力が養われたと思う」と、長尾氏は当時を振り返りました。
南ベトナムの農村ボランティアを終えて日本に帰国した長尾氏は、一橋大学大学院で開発経済学を学び、その後、国連貿易開発会議(UNCTAD)に入ります。経済問題の担当官として、発展途上国が機械やエネルギーに関する技術を開発する方法について研究します。さらに、笹川平和財団で国際化する地域への助成金提供の仕事に携わった後、広島大学に赴任し、アフリカに対する教育協力支援の仕事に従事します。これらの国際総合専門職としての任務に携わるなかで、一番大事なのは「自分が一緒に仕事をする人を選ぶこと」だったと長尾氏は強調しました。
2008年にUNU-IASに客員教授として赴任してからは、持続可能な開発のための人材育成のために、ケニア・ナイジェリア・ガーナ・南アフリカ・ザンビアの大学と共同で、大学院プログラムを作る仕事に従事します。このESDA(Education for Sustainable Development in Africa)と呼ばれるプロジェクトは、2002年に南アフリカのヨハネスブルクで開催された持続可能な開発に関する世界首脳会議での議論を受け、先進国でも南北問題解消のための持続可能な開発のための教育(ESD)を推進させようという取り組みのなかで始まりました。アフリカの大学で、都市開発・農村開発・鉱物資源開発をテーマに、各大学とUNU-IASの共同で修士課程の運営を行っています。鉱物資源の修士課程には日本人学生も進学しており、アフリカ人に限らず、アフリカ大陸の外の学生も受け入れています。アフリカの長期にわたる援助漬けで自助努力を推進しにくい状況において、外からの援助を受けずに「できるだけ学生を現場に連れて行って、現場での問題解決を学ぶ」ことに力を入れていると長尾氏は語りました。
また、2000年から2015年の間に経済が年平均約5%発展してきたアフリカにおいて、工業化の問題が深刻化しています。そこでアジアで現在起こっているような公害や所得格差を生まないように、アフリカの教育の中核に「持続可能な工業化」を位置づける取り組みが進められています。アフリカで活躍して成功を収めている若手起業家が自分たちの後継者を育成できるよう、アフリカのMBAを作ろうと、長尾氏は次世代を担う若手研究者たちと一緒にこの取り組みに関わっています。こうした仕事に従事するうえで、長尾氏は、目の前の課題が広い世界のどこに位置づけられるのか、「世界を捉えて自分なりの認識をもつ」必要があると強調し、「いつも変化していく社会の最先端のフロンティアに身を置いてきた」と語りました。
進行役のUNU-IAS所長の竹本和彦から、国連での最初のキャリアの出発点となった国連貿易開発会議での任務の様子について尋ねられると、長尾氏は、ポルトガル・マリ・チリ等の出身者と多国籍のチームの中に日本人一人で入り、途上国に先進国がもっている技術をどうもちこむべきかを話し合い、論文のような成果物だけでなく、現地の政府職員と一緒に政策ストーリーを作って行くスタイルだったと述べました。
さらに、会場からアフリカの格差の問題について尋ねられると、90年代後半に民主化途上の南アフリカでの理数科教育に携わったときのことを話しました。南アフリカは、多数の黒人の中に少数の白人が暮らしている社会で、理数科教育ができる白人の先生が黒人の学校に入れない状況がありました。当時のネルソン・マンデラ大統領から橋本龍太郎首相に電話があり、理数科教育の教授法を黒人の先生に指導して欲しいという要請を受け、広島大学にいた長尾氏に実施の依頼が舞い込みます。毎年数十人の黒人の先生に日本に来てもらい、日本の学校の先生の指導の様子を見てもらう機会を作ると、ある黒人の先生は「白人だけから学ばなくても、他に学ぶところがあるんだな」と話したと言います。日本で白人対黒人という社会状況とは別の経験をすることで格差意識から抜け出してもらえたとして、「日本には、やることがまだたくさんある」と長尾氏は語りました。
その後も国際機関での任務に従事することを目指したこれからの選択について、アドバイスを求める参加者の長い列が途切れることなく続きました。
米国カールトン・カレッジを卒業 |
ベトナムの農村でボランティア団体での活動に従事 |
一橋大学大学院で開発経済学修士号を取得 |
国連貿易開発会議にて経済担当官を務める |
笹川平和財団にてプログラムオフィサーを務める |
広島大学にてアフリカに対する教育協力支援に従事 |
その後、国際基督教大学、東京大学大学院における開発学の教育研究の傍ら、2008年より、国連大学サステイナビリティ高等研究所客員教授として、アフリカの大学とサステイナビリティ開発人材育成プログラム(ESDA)を担当している。 |