根本かおる氏、自分が一番惹かれるものを見極めることが大事と語る

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  • 2014年10月8日     東京

    2014年9月29日(月)、第3回UNU CAFÉ「根本かおる氏と語らう」が国連大学本部で開催されました。根本氏は、小学3年生から4年間過ごした西ドイツで、肌の色で区別され、他国からの移民の苦労を目の当たりにしたことから、「マイノリティの視座」がその後の進路を決めるバックボーンとなりました。大学では国際法を専攻し、卒業後はテレビ朝日に入社。アナウンサー職を経て女性初の政治部報道記者として、二度目の「マイノリティとしての苦労」を味わいます。その後、休職制度を利用してコロンビア大学に留学、国連の高官と学生が丁々発止の議論を交わす様子に刺激を受け、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のネパールの現地事務所でインターンとして働くことを志願します。その後、JPO試験に合格、UNHCRにて国連職員としてのキャリアをスタートさせ、2013年からは、国連広報センター(UNIC)の所長を務めています。

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    自分で切り拓いてきた国連でのキャリア

    UNU CAFÉが開演すると、根本氏は、国連機関での様々な任務を振り返り、人事部からの任命に従って各地に赴いたのではなく、その時々で自ら空席候補の情報を得てポストを勝ち取ってきたことを話し始めました。

    最初に難民認定の仕事に携わったトルコでは、イラクなどから逃れてきた難民から、拷問やレイプなどの体験を毎日何件も聞き、認定を間違えれば本国に強制送還されるかもしれないという重責に耐えながら任務にあたります。その後、フランス語圏での任務を希望し、アフリカのブルンジに赴任しますが、国連職員の命に危険が及び、1年半で国外退避指示を受け、コソボに移動します。そこは、当時世界的な注目が集まっていた民族紛争下で、潤沢な予算はあるものの、 日々憎悪の言葉を浴びて働きます。ここで身を粉にして働いていることに、何の意味があるのか、自問自答する日々だったといいます。

    小さなステップが実を結ぶ

    当日参加した学生から、当時の辛い状況のなかで仕事を続けることを後押ししたものは何だったのかと尋ねられた根本氏は、 小さなステップが積み重ねられていったことだと答えました。具体的には、旧ユーゴスラビアで対立関係にあった、セルビア人とアルバニア人の女性たちのあいだで収入創出活動のプロジェクトを手がけた経験を挙げ、兵士が警護にあたる物々しい雰囲気の中で、最初はお互いに話すことも拒絶していた人々が、製品の販売や仕入れについて、少しずつ会話が始まったとして、こうしたことが自分自身の仕事の意義を実感することにつながったと話しました。

    さらに、 講演タイトルに原動力としての「好奇心」を掲げた根本氏に、好奇心のどこが大事なのかを問いかけられると、自分が何に一番惹かれるのかを見極めることが大事だと強調し、根本氏の場合は、子どもの頃に持った「マイノリティとしての視座」が人権問題につながり、マスコミでの任務が声なき声を伝えることでその解決につながると考えたと答えました。

    また、マスコミから国連職員に転職したきっかけを尋ねられると、困っている人の声に耳を傾けそれを書く力は共通しており、マスコミでは番組や原稿としてアウトプットしていたものを、国連職員としては解決に導く人や組織へつなぐことができると考えたとして、書く力がきっかけになったと話しました。日本のマイノリティの状況については、一時手続きでの難民申請の通過率が0.1%に過ぎない現状を挙げ、難民の権利保護が十分ではない日本の状況を指摘しながら、これまで出会ってきた難民はサバイバルのプロであり、生き抜く貪欲さに敬服しており、人生の師であると語りました。

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    国連広報センター所長としての挑戦

    進行を務めたUNU-IAS所長の竹本和彦から、現在何に課題を感じているかを尋ねられると、根本氏は、日本のメディアで国連の様々な重要議題が取り上げられることの難しさを挙げ、国連というグローバル組織内での方針や価値を、日本というローカルメディアでの報道に取り上げられやすいように発信していくことだと答えました。さらに、組織を動かすのは人の熱意であり、国連の使命を広く伝えていくことことに情熱を燃やす人々が集まれば、ときに爆発的な力を生むと話しました。

    仕事は生き方そのものだと語る根本氏の情熱は、国連職員を目指す学生に伝わり、 UNU CAFÉ終了後も互いの連絡先を交換する沢山の輪となって託されました。

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    根本氏のキャリアパス

    小学3年生から中学1年生までドイツで過ごす
    東京大学法学部を卒業する
    テレビ朝日にてアナウンサー・報道記者を務める
    国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)にて、国連職員としてのキャリアをスタートする
    2013年より、国連広報センター所長を務める